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zoom RSS 高山右近の高槻城で

<<   作成日時 : 2017/06/01 17:31   >>

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朝は雨ですが昼には曇りのち晴れに〜〜。

午後、デイサービスに行きました。健康テェック(血圧計や温度計など)とストレシバザクラッチ(全員のボール握り、手の感覚運動、膝ボールはさみ)をしました。全員の足踏みをして、振り子運動と歩行訓練は職員の内山さんに手伝ってもらいました。肩の運動は職員の西尾さんにしてもらいました。踏み台昇降は職員の内山さんに手伝ってもらいました。「ウーノ」ゲームをしました。2勝に〜全員のつま先立ちを終わって、デイサービスを終えました。



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信長が攻めあぐねた堀? 高山右近の高槻城で新たに確認

室矢英樹、編集委員・今井邦彦

 バチカン(ローマ法王庁)から「福者(ふくしゃ)」に認定されたキリシタン大名の高山右近(1552〜1615)が城主を務めた高槻城(大阪府高槻市)で、織田信長も手を焼いたとされる右近の築いた堀や、江戸幕府が大規模な改修工事をした痕跡が新たに見つかった。高槻市教育委員会が1日発表した。

 高槻城は16世紀前半に造られ、1573〜85年には右近が城主を務めた。その後、豊臣家を経て徳川家の直轄地となり、大坂夏の陣の2年後の1617年、西国大名への備えとして幕府が全面改修。明治の廃城後に堀は埋められた。現在は公園になっている。貯水施設を建設するため、市教委は昨年11月から発掘していた。

 堀は幅約9メートルで、江戸時代の二の丸と三の丸の間の約75メートルにわたる内堀の下にあった。2010年には今回の調査地の南でも幅約19メートルの戦国時代の堀が見つかった。右近は1578年、信長に謀反を起こした主君の荒木村重に従い、一時織田軍に高槻城を包囲された。まもなく右近は降伏したが、広大な水堀と城壁で守られた城を織田軍は攻めあぐねた、と外国人宣教師が記録している。

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OTO
2017/06/01 20:25
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