ヒシャム宮殿遺跡、全面公開へ

散歩へ
今日の歩数5100歩です。


ヘルパーの小沼さんと塩海さんが来ました。 有り難う



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中東一のモザイク パレスチナ・ヒシャム宮殿遺跡、全面公開へ
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 パレスチナ自治区ヨルダン川西岸のエリコ市で17日、ウマイヤ朝(7~8世紀)時代の代表的イスラム建築「ヒシャム宮殿遺跡」を保護するシェルターが日本政府の支援で完成し、遺跡内部が十数年ぶりに報道陣に全面公開された。遺跡には中東一の規模を誇るモザイクがあり、今月下旬以降、一般公開される予定だ。

 宮殿は、当時のイスラム指導者が冬の別荘として建設。747年の地震で倒壊し、忘れられていたが、20世紀前半に発掘された。

 大浴場にあるモザイクの床は、保護のため2000年代初めから大部分がシートで覆われ、鑑賞できなくなっていた。しかし、遺跡を観光資源として活用したいと、パレスチナ自治政府が日本政府に支援を要請。国際協力機構(JICA)を通じて約12億円の無償資金協力を受け、約5年がかりでドーム型のシェルターが建設された。

 モザイクの床は約825平方メートルで、この時代のイスラム美術を象徴する美しい幾何学模様や花柄が21色の自然石でデザインされている。迎賓室にある「生命の樹」と呼ばれるモザイクは、左に草を食べるガゼル2頭、右にライオンに襲われるガゼル1頭が配され「善と悪」または「平和と戦争」を表現しているとされる。

 パレスチナを訪問中の茂木敏充外相と共にテープカットした自治政府のマアーヤア観光・遺跡担当相は「コロナ危機が終わった後、世界中の観光客にこの美しいモザイクを見てほしい」と話した。



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甲子園決勝は8月28日 雨にたたられ…最も遅い「夏の終わり」に

 第103回全国高校野球選手権大会は18日も天候不良のため、順延となった。今大会は雨にたたられ、順延はこれまでで最多の計6日間。決勝は大会史上最も遅い8月28日に行われる。

 これまで最も遅かった決勝は8月25日で、過去に2回あった。最初は、米大リーグ・ヤンキースなどで活躍した松井秀喜(星稜=石川)が明徳義塾(高知)との2回戦で5打席連続敬遠されたことで知られる1992年の第74回大会だ。同年のバルセロナ・オリンピックとの日程重複を避けて例年より遅い8月10日に開幕したことに加え、台風による順延があった。2度目は、2014年の第96回大会で、台風の接近で史上初めて開幕が2日間順延された。

 今大会は、8日に閉幕した東京オリンピックの開催時期とずらして開幕を9日に予定していたが、台風の影響で順延。前線の停滞が続き、12日からは46年ぶりの3日連続順延となった。17日は東海大菅生(西東京)―大阪桐蔭が23年ぶりの降雨コールドゲームとなり、残りの3試合は18日に順延されていた。

 実は記録として残っていないものの、甲子園球場で8月29日に決勝が行われた例がある。選手権が戦争のため中断中だった42年、戦意高揚のため当時の文部省などが開催した全国中等学校錬成野球大会だ。8月23日に始まり、29日の決勝で徳島商が優勝を果たした。選手権の大会史には記録されないため、「幻の甲子園」と呼ばれる。

 度重なる日程変更で各チームは難しい調整を強いられている。18日に登場する予定だった6校は初戦が当初の13日から19日に延びた。13年夏の甲子園でチームを初出場優勝に導いた前橋育英の荒井直樹監督は18日の甲子園での室内練習後、「天候はコントロールできない。明日に向けてしっかり準備したい」と話した。雨にも負けないチームが、最も遅い「最後の夏」の決勝の舞台に立つ。


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言語障害者のOTOが書くことも話すことも出来ない時、日記を
復活後の奮戦記です。1990年
8/18(土)曇のち晴
午前中は百号線から大師に行きました。そしたら雨で家に電話して「大師に居る」と言いました。午前七時ぐらいに家に帰りました。
中条医院から床屋に行きました。
午後は扇彫刻のある公園から高野公園に行きました。

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    2021年08月18日 19:47
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    131  82  70  35.7
    2021年08月19日 05:05