おわら風の盆を

昔、おわら風の盆(9月1日~3日)を見に行きました。
おわら風の盆
おわらの11団体とおわら保存会と越中八尾おわら道場
風の盆の行事を行なっているのは、「東町・西町・今町・上新町・鏡町・下新町・諏訪町・西新町・東新町・天満町」の10の旧町内とそれらの旧町内外から移り住んだ人たちからなる「福島」の計11団体です。これらの11団体の代表者によって構成される「富山県民謡越中八尾おわら保存会」があります。1929年(昭和4年)8月、「越中八尾民謡おわら保存会」が設立され、初代会長には私財を投げ打ち、おわらの保存育成に力を注いだ東町の医師で、おわら中興の祖と呼ばれる川崎順二です。このおわら保存会を「本部」、11団体を「支部」と称しているが両者のあいだに上意下達の指揮命令系統があるわけではなく、風の盆の行事については各支部が自主的に行なっています。なお、風の盆で今町にある聞名寺境内で踊っているのは、「聞名寺風の盆講中」、「越中八尾おわら道場」の人たちであるとされています。

2013年(平成25年)には、八尾高校郷土芸能部がおわら風の盆に初めて参加し、越中八尾駅前特設ステージや、東町のふらっと館で舞台演技を披露したほか、町中で町流しを行ない晴れ舞台を務めた。同部は地元の伝統芸能であるおわら節を習得し継承することを目的に活動しており、以前よりおわら保存会から三味線、胡弓、唄、踊りの指導を受けていたが、上達のためには目標になるものが必要と指導者からの提案を保存会が了承し、風の盆への参加が認められ、現在も参加しています。

富山県民謡越中八尾おわら保存会の伝承に対して異を唱え、別の伝承を行う団体である「越中八尾おわら道場」が存在する。 越中八尾おわら道場は1985年(昭和60年)に設立された。結成当初は「越中おわら保存研修道場」という名称であったが、1989年(昭和64年/平成元年)に現在の名称に変更しています。その設立理由として第3代会長である庵進は以下のように語っています。

「おわら」をきちんと芸事として捉えて取組んできた人達が「今のおわらは唄も三味線も踊りも少し崩れてきた。このままでは人気だけで中身が伴わないおわらになってしまう」とそれぞれに憂いを持ち始めたこと。さらに、昭和30年代から続いた民謡ブームも50年代に入ってから急激に陰りが見られるようになった中、越中おわらだけは人気が高く、他の民謡に物足りなくなった全国の「本物志向」の人達が「越中おわら」を目指してだんだんと増えて来たことです。此等に応えるべく、長老、若手で色々と構想を重ねて旗揚げをしました(民俗芸能における真正性と伝承方法に対する一考察)。

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言語障害者のOTOが書くことも話すことも出来ない時、日記を
復活後の奮戦記です。1990年

8/31(金)晴
午前中は階段を下りて行くと相武台東小学校に着きました。そして、牛と鶏を作った加藤牧場を見ました。高い階段を通って、左に行ったら相武台東小学校を見て、高いと思いました。そして、家に帰りました。
午後は父と母と僕、三人でマルサンに行き、鏡を買いました。そして、イトーヨーカドーに行き、魚、野菜、牛乳など買いました。父は帰って、二人は肉屋に買ってから帰りました。