道下美里が金

1週間の平均歩数5100歩です。 
a05-1.gif


前回リオでは「金」ゼロだったが…パラ競技終了、日本は金13・銀15・銅23 


≪≪≪≪≪≫≫≫≫≫≫
道下美里が金 視覚障害マラソン リオ銀に続き2大会連続メダル
a05-2.gif

 東京パラリンピック最終日の5日、陸上女子マラソン(視覚障害T12)が東京・国立競技場を発着点とするコースであり、道下美里(44)=三井住友海上=が金メダルを獲得した。2016年リオデジャネイロ大会の銀に続く2大会連続のメダル。

 山口県出身。角膜の難病で中学2年時に右目の視力を失い、左目もほぼ見えない。20年12月に自身の持つ世界記録を9秒更新する2時間54分13秒をマークした。


<<<<<>>>>>
車いすバスケ男子、日本初のメダルは「銀」…米と一進一退の攻防は一歩及ばず
a05-3.gif

 東京パラリンピックは最終日の5日、車いすバスケットボール男子の日本が銀メダルを獲得した。決勝で米国に60―64で惜敗したが、史上初のメダルとなった。

 決勝は、前半で27―32とリードを許したが、第3クオーターは香西宏昭(33)(NO EXCUSE)、秋田啓(31)(あいおいニッセイ同和損保)らが得点を重ね、46―45と逆転に成功。第4クオーターも一進一退の攻防となり、あと一歩及ばなかったものの、2連覇を果たした米国と互角に戦った。

 12大会連続出場の日本は、1次リーグを4勝1敗のA組2位で突破。準々決勝でB組3位の豪州、準決勝で2018年世界選手権王者の英国を撃破して、決勝の舞台に進んだ。

 これまでは2008年北京大会などの7位が最高で、前回リオデジャネイロ大会は9位だった。女子は1984年アイレスベリー大会、2000年シドニー大会で銅メダルを獲得している。


世界ランク12位の藤原・杉野組、接戦制し「銅」…バド日本勢のメダル9個に
28歳差のバド梶原・村山組、実績積み上げ「銅」…梶原はシングルス「金」に続くメダル


⇔⇔⇔⇔⇔⇔⇔⇔
車いすテニス・国枝慎吾「99.99%信じられなかった」金メダルを実現させた最強のメンタル
a05-4.gif

 5度目のゴールドメダルポイント。対戦相手トム・エフべリンク(オランダ)のリターンがネットにかかり金メダルが決まると、国枝慎吾は応援団に向け拳を握り、そして目頭を押さえた。涙が止まらなかった。

「もう信じられないの一言。マッチポイントもぜんぜん覚えてないです。思い出せるのは岩見(亮)コーチだったり、北嶋(一紀)トレーナー、日本選手団の顔くらいで、最後の瞬間は全然思い出せない。それぐらい自分自身興奮した瞬間だったし、一生分泣いた。もう枯れましたね」

 国枝は東京2020パラリンピックの男子シングルス決勝に6-1、6-2で勝利し、2大会ぶり3度目となるシングルスでの金メダルを獲得した。170キロ近いサーブやパワーで押してくるエフべリンクに対し、国枝は正確な読みと多彩なリターンで翻弄し、3ゲームしか落とさない完勝といえる内容だった。

 この決勝も含めた今大会の5試合で1度もセットを奪われなかった国枝だが、試合後パラリンピックの重圧を感じていたと明かした。

「重圧はかかっていたけれど、重圧があればあるほど勝利の味は格別なものになる。重圧があるからこそ勝利の瞬間に思いっきり泣ける。パラリンピックの重圧をひしひしと感じた大会でしたし、正直なところパフォーマンスに関しても難しさを感じていました。パラリンピックでは最後はテクニックでなく、メンタル勝負というのは経験上わかっていたので、強いメンタルで勝ちきった感じです」

 シングルス3連覇確実といわれたリオデジャネイロ2016大会、慢性化していた右ひじの痛みが悪化し、準々決勝で敗退した。大会後、引退を何度も考えた。それでも、ひじの痛みの原因となっていたバックハンドや自分のプレースタイルを改めて見直し、一時は10位まで下降した世界ランキングで1位に返り咲いた。

 もう一度、パラリンピックで金メダルを取って「最強」を証明する。その思いを胸に迎えた2021年だったが、全豪、全仏、全英オープンのいずれも優勝できず、焦りが生じた。

「そのたびに自分自身のテクニックも変えましたし、自分自身を疑う気持ちがすごく出てきた。バックハンドは、パラリンピックに入る1週間くらい前にフォームなどがようやく定まってきた。それぐらい自分のテニスに迷いもあった。眠れない日もあったし、重圧がかかっていました」

 大型のフォームの変更に取り組んでいたが、逆に迷いの原因になると、2020年の全豪、全米オープンで勝った際のフォームに急ピッチで戻した。

「新しいフォームは体にすでに染み付いていて、取り戻すのは大変でした。でもそうした日々を過ごしたからこそ今がある。最後の最後まであがきまくったからこそ、きょうのこの瞬間がある。今思えば、この5年間は常にトライして自分を変えよう、失うものはないという気持ちでやってきました」



φφφφφφφφφ
言語障害者のOTOが書くことも話すことも出来ない時、日記を
復活後の奮戦記です。1990年

9/5(水)曇
朝、かにが沢公園に行きました。会社に行き、総務で勉強しました。そして、組合で遠入・鈴木さんに会いました。
午後は組合の鈴木さんに会って、そして、イトーヨーカドーを通って、かにが沢公園に行って、本を読みました。そして、帰りました。
夜、加藤さんが来ました。

"道下美里が金"へのコメントを書く

お名前:
ホームページアドレス:
コメント: