「ようやくピアノがわかってきた」

相模台病院に行って、採血をしました。結果は金曜日に 


今日の歩数4900歩です。

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1945年デビューのピアニスト、80歳の頃に「ようやくピアノがわかってきた」
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 100歳となっても、いきいきと自分の道を究める人たちがいる。1945年のデビューから76年間、国内外でピアニストとして活動を続ける室井摩耶子さん(100)=東京都世田谷区=は、コロナ禍の今年も舞台に立った。健康の 秘訣ひけつ は、日々の練習と大好きなお肉の食事、そして、「ひたすら前を向いて、一日一日を生きること」と話す。(戸田貴也)

 「音楽って、音でつづる物語だと思うの」。9月上旬、室井さんはこう言って、自宅のレッスン室でピアノを弾き始めた。ベートーベンの「エリーゼのために」。明るい曲調のフレーズを奏でながら、「太陽が輝き、窓の白いカーテンがひらひらしているようなイメージ」と解説する。

 理想の音を表現するため、毎日の練習は欠かさない。演奏会の前は1日7~8時間、ピアノに向かい、納得がいくまで音符一つ一つを確かめる。「80歳の頃にようやくピアノがわかってきた。間違えずに演奏することだけが、音楽ではないわ」。今年4月、演奏会で観客席に語りかけた。

 6歳でピアノを始めた室井さんは、1941年に東京音楽学校(現在の東京芸大)を卒業。戦時中の45年1月にオーケストラとの共演でデビューしたが、「何かが足りない。それは日本人だからだろうか」という思いが募った。

 35歳のとき、クラシック音楽の本場で学ぼうと、単身でヨーロッパに留学した。そこで、80歳代の女性ピアニストが、孫をあやすような優しい音色を奏でていたことに心を揺さぶられた。国籍や年齢にとらわれず、個性を追い求めることが大切だと気づいた。

 40歳代で出版社が選ぶ「世界150人のピアニスト」に選ばれ、評価が高まった59歳のとき、今度は日本に戻ると決めた。「今の評価に甘えず、母国で真剣勝負をしたい」と再スタートを切った。日本のプロオーケストラと共演を重ね、74歳からは、曲の解説を交えたトークコンサートを始め、80歳代になって、手応えがでてきたという。

 100歳となり、手指を素早く動かすことや、暗譜は若い頃と比べると難しくなりつつある。できないことは受け入れながらも、「100歳だから」と自分に限界を設けないように心がけている。

 体力維持のため、演奏会前は夕食で牛ヒレ肉を100グラム食べる。留学中からの習慣といい、「今も元気の源。できないことを悩んでいる時間は、もったいない」と笑う。

 コロナ禍でようやく開催した4月のコンサートでは、ある観客から「優しい音に心を動かされた」という感想をもらった。「観客に喜んでいただけることは、私にとっての生きがい。手足が動く限り現役を続けたい」と笑顔を見せた。

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東証、バブル後最高値を更新 午前終値は115円05銭高

14日午前の東京株式市場の日経平均株価は大幅続伸した。2月16日に付けた取引時間中のバブル経済崩壊後の最高値3万0714円52銭を更新し、平成2年8月2日以来約31年ぶりの高値となった。新型コロナウイルス新規感染者の減少傾向やワクチン接種の進展が好感された。新政権による経済対策への期待感も引き続き相場を支えた。上げ幅は一時300円を超えた。

午前終値は、前日終値比115円05銭高の3万0562円42銭。

政府が13日、新型コロナワクチンの2回接種を終えた人が日本の人口の約5割に達したと発表。東京都で13日に報告された新規感染者数が約2カ月ぶりの低水準になり、市場では、経済の正常化が進み、個人消費が上向くとの見方が広がった。米国でも新型コロナ感染者数が減少に転じつつあり、13日の米国株式市場のダウ工業株30種平均が反発したことも好感された。


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藤井三冠、技術的以上に精神的な強さに驚き 「10代3冠」未来永劫破られないかも
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藤井新三冠にとって、今年一番の大勝負だった。叡王を奪取できなければ竜王戦を含めた今年度内のタイトル争いにも影響を及ぼす。だが積極的な姿勢は変わらず、悪い局面は全くなかった。

運も味方した。振り駒で先手番となったが、後手番となれば受け身にならざるを得なかった。そして本局も選んだ相掛かり戦は、急戦ではなく持久戦型。長い序中盤をへて終盤で一気にたたみかけた。

技術的な成長以上に、精神的な強さに驚いた。勝負を決めたのは103手目の▲9七桂。桂馬が跳ねるようなダイナミックな手は、相手が警戒する終盤は出しにくい。堅実な手を選びがちだ。だが、AIも最善と予想しなかった手を大胆に指して相手銀を奪うと、最後はこの銀で豊島玉にとどめを刺した。

大一番の終盤に思い切った手を指せるのは、「もし負けたら」という弱気が一切ないことを示している。藤井三冠はあまりに強くて、私は言葉が見つからない。


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言語障害者のOTOが書くことも話すことも出来ない時、日記を
復活後の奮戦記です。1990年

9/14(金)雨時々曇
午前中は天草病院に両親と行きました。そして、院長の天草先生に会ったら、「小坂先生の時に来た方が良いです。」と言われました。PTの長久先生に会って、「子供が出来ました。」と言われました。
午後はOTの山田先生に会って、「相武台は大変坂が多い」と言いました。そして、病院から家に帰りました。

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