執念の一挙

軽い散歩へ
今日の歩数3600歩です。

朝、ヘルパーの糟野さんが来ました。 有り難う
c19-1.gif


午後、デイサービスに行きました。健康テェック(血圧計や温度計など)とストレシバザクラッチ(全員のボール握り、手の感覚運動、膝ボールはさみ)をしました。
ゲーム機やマッサージなどいました。
金魚すくいはレベルを上げで、レベル3に 96点と92点に~~
デイサービスを終えました。


±±±±±±±
競技人生初の痛み止めで奇跡の銅メダル 三宅宏実、執念の一挙
c19-2.gif

リオデジャネイロ五輪で銅メダルが決まり、バーベルに抱きつく三宅宏実

奇跡のメダルだった。2016年8月、リオデジャネイロ五輪重量挙げ女子48キロ級で、ロンドン五輪銀メダルの三宅宏実がスナッチ81キロ、ジャーク107キロのトータル188キロで3位に入り、2大会連続のメダルを手にした。女子代表の監督を務めた父・義行氏との16年にわたる二人三脚で、重量挙げの日本女子では初となる複数のメダル獲得につなげた。

後半、ジャークの最終3回目。失敗すればメダルの可能性が消える土俵際で三宅が力を振り絞った。3位に滑り込む107キロを挙げると、「やった」と思わず口が動いた。退場する直前にバーベルに駆け寄ると、重りをなでて頰ずりして感謝した。

「前回とは年齢が違うので(メダルの)重みが全然違う。色は銅でも一番うれしい。奇跡です」

3月に発症した腰の痛みはふくらはぎまで広がっていた。試合3日前には「薬漬けになるから」と拒否していた痛み止めを競技人生で初めて打ったという。

前半のスナッチ。準備運動を観察した父が、予定していた82キロからとっさの判断でロンドン五輪より6キロ少ない81キロに変更。三宅は3回目で成功し、「首の皮一枚つながった」と後半を迎えた。

トップとの差は11キロ。ひそかに3位狙いに切り替えた父は、107~108キロを銅メダル圏と計算。2回目を微妙な判定で落とした三宅が「これで失敗したら日本に帰れない」と腹をくくった3回目。体が前後に揺れながらもこらえて見事にクリア。5人をごぼう抜きし、わずか1キロ差で表彰台をゲットした。

父は1968年メキシコ五輪銅メダリスト、伯父・義信氏は1964年東京五輪覇者の重量挙げの家系に生まれた。幼少期は音大出身の母・育代さんからピアノの英才教育を受け、ピアニストを目指したが、00年シドニー五輪で初採用された女子重量挙げをテレビ観戦し、父と同じ道を歩むことを決意した。

銀メダルに輝いたロンドン五輪後、父から「1回はまぐれ。2回取ったらメジャーになれるよ」と競技の看板を背負うようはっぱをかけられた。リオまでの4年間は週5日、盆も正月も関係なくカレンダー通りに練習をこなしてきた。20代の頃は反抗もしたが、父との二人三脚が2大会連続のメダルとして結実した。

父は関節のあちこちにチタンが入るほど体を酷使してきた。銅メダルが決まると審判の静止を振り切って台に上がり「よかったね。練習をたくさん積んだから」と娘をたたえた。記者は08年北京、14年ソチ、リオの五輪3大会を取材したが競技の枠を飛び越え、最も感動した執念の一挙だった。

3大会連続のメダルを目指す東京五輪は、49キロ級で出場する。「今回は開催国枠がないと出られなかったので、このチャンスを最大限に生かしたい。21年間やってきたことを悔いのないように出したい」。5大会連続の大舞台で、競技人生の集大成を見せる。(




∇∇∇∇∇
山梨・甲州市と岩手・奥州市37・3度、福島市で37・2度…今年最多の115地点で猛暑日に

 四国の梅雨明けが発表された19日は全国的に気温が上昇し、午後3時までに今年最多の115地点で、35度以上を記録する猛暑日となった。

 気象庁によると、午後3時20分までに山梨県甲州市と岩手県奥州市で37・3度、福島市で37・2度、群馬県桐生市と栃木県佐野市で37・1度を観測した。

 東京都内でも午後3時までに都心で34・7度を観測し、練馬区では36・0度の猛暑日となった。また、札幌市中央区でも午後3時までに35・0度と、今年初の猛暑日を迎えた。




φφφφφφφφφ
言語障害者のOTOが書くことも話すことも出来ない時、日記を
復活後の奮戦記です。1990年
7/19(木)晴
天草病院に行きました。午前中は原先生が休みで、集団作業法室で野本先生から日記の勉強を教わりました。
午後は山田先生とOTをやりました。塚越さんにあいました。
竹中さんが電話をくれて、明日、病院で会います。