日本勢で初 金メダル

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鈴木孝幸が金メダル パラ100m自由形 今大会、日本勢で初
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 東京パラリンピック第3日は26日、東京アクアティクスセンターで行われ、競泳男子100メートル自由形(運動機能障害S4)は5大会連続出場の鈴木孝幸(34)=ゴールドウイン=が、2008年北京大会以来の金メダルを獲得した。

 今大会日本勢初の金メダル。今大会の鈴木のメダル獲得は、25日の男子50メートル平泳ぎ(運動機能障害SB3)の銅メダルに続き2個目となり、パラリンピック通算は7個目となった。静岡県出身。



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逆転に貢献 車いすラグビー・倉橋香衣、プレーで示す存在価値
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徳野仁子

 東京パラリンピックの車いすラグビーで優勝候補に挙がる日本に、たった一人女子選手がいる。天真らんまんな性格と笑顔がトレードマークの倉橋香衣(30)=商船三井=だ。性別の枠を超えた自身の存在価値を証明し、悲願の金メダル獲得を目指している。

 25日の1次リーグ初戦のフランス戦。倉橋は相手にリードを許した第2ピリオド序盤からの途中出場でパラリンピックデビューを果たすと、日本の攻撃陣を好守で苦しめた相手選手の動きを封じ、味方のトライをお膳立て。さらに一旦退いて迎えた第4ピリオド、43―44の場面で投入され、持ち前の守備力を発揮し、53―51という終盤の逆転勝利に貢献した。「練習を信じてやろうと声をかけ合った。いつものようにすごく楽しかった」と破顔した。

 3姉妹の次女として神戸市に生まれ、小学1年から体操に取り組む活発な子供だった。教員を目指して進学した文教大(埼玉県越谷市)には体操部がなく、空中に跳ねて演技をするトランポリンに転じた。ところが、3年だった2011年4月に試合前の練習で体勢を崩して頭から落下。首の骨を折り、鎖骨から下の多くの機能を失った。腕を高く上げることができず、握力はない。だが、活発さは失わなかった。

 復学のために入所した国立障害者リハビリテーションセンター(同県所沢市)で、車いすラグビーに出合った。車いすでのぶつかり合いが認められる唯一のパラリンピック競技に恐怖心はなく、むしろ迫力に「開放的で楽しそう」と魅力を感じ、15年から本格的に始めた。この時から今に至るまで、自分より大柄の相手にも恐れることなく向かっている。

 男女混合競技だが、国内で女子選手を目にすることはまれだ。その環境下でプレーし「女性という理由だけで注目されるのはなんか違う。実力を認められて日本代表に選ばれたい」と口にしてきた。発言の背景には、車いすラグビーの女子選手を対象としたルールに芽生えた複雑な感情がある。

 この競技は障害の程度が最も重い0・5点から3・5点まで、0・5点刻みで各選手の持ち点が決められている。コートに出る4人の合計を8点以内にしなければならないが、女子1人が入ると0・5点の加算が認められる。パワーの違いなどを考慮したものだ。

 持ち点0・5点の倉橋は実質0点となり、障害の程度が軽い選手で周りを固めやすくなる。多彩な選手編成は有利に働くため、女子ならではの強みになる。18年世界選手権に倉橋を加えた編成を持ち込んだ日本は、史上初の優勝を飾った。国際大会での女子選手の活躍は国内外で注目された。

 ただ、本人は実力を度外視して「女子ルール」でメンバーに選ばれると周囲に思われること、そして自信が持てないままコートに立つことは、もってのほかと考える。手放しにもてはやされる度に自戒した。「同じ持ち点の男子に追いついていない。私がうまくなれば日本はもっと強くなる」

 意欲とは裏腹に19年以降は肩を痛め、調子が上がらなかった。同年10月に日本で開かれた国際大会を欠場。間近に迫る東京大会に間に合わせようと無理をし、また痛めるという悪循環に陥った。コート脇で実戦練習を眺め、笑顔が曇ることもあった。それでも地道な調整に臨んだ。それは、新型コロナウイルスの感染拡大で東京オリンピック・パラリンピックの延期が決まった20年3月以降も変わらなかった。

 今年1月からは神戸市内でトレーニングを重ねた。練習拠点とした体育館は、首を骨折した頃、日常生活に復帰するためのリハビリに励んだ病院に隣接する。倉橋にとって、原点のような場所だ。当時リハビリを担当した作業療法士の安藤芽久美(めぐみ)さん(37)が「遊びに来たら」と誘った。その真意を「コンディション調整からコロナ下になり、孤独や焦り、戸惑いが垣間見えた。一人で戦ってほしくなかった」と説明する。

 練習する傍らには、入院中の人や、スポーツに親しむ障害のある一般人もいた。懸命に汗を流し、時に練習相手を務めてくれたり、励ましてくれたりすることもあった。倉橋は「応援してくれるのがうれしかったし、スポーツを楽しもうという初心を思い出した」と振り返る。安藤さんは「(倉橋の姿を見た)みんなも自分の可能性を模索することが増えた。彼女が練習していると絶えず人が来る」と相乗効果に感謝した。

 代表に選出された倉橋は、東京大会開幕前に安藤さんに「やれると思う。戦い抜ける」と約束した。プレーの源となる心は整い、「体の使い方を学び直し、軽くこいでも前より速い。スキルは上がった」と、体の仕上がりも上々だった。障害の程度が軽い相手に身体能力で劣る面があるが、展開を先読みする賢さや視野の広さで対抗する。

 「期待は他選手と変わらない。先々を考えて動けるのが素晴らしい」とケビン・オアー監督。東京大会初戦の勝負どころで起用したことが信頼の証しだ。倉橋は「金メダルを本気の目標にしてきた。女性がいて当然の競技なので日本でも盛んになってほしい。私の姿から何かを感じてくれたら」と言う。満面の笑みを取り戻した姿は頼もしさをも感じさせる。


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6回目出場の成田真由美、全体9位で予選敗退 パラ競泳100m自由形
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 東京パラリンピックは第3日の26日、競泳が東京アクアティクスセンターで行われ、通算6回目出場の50歳の成田真由美(横浜サクラ)は女子100メートル自由形(運動機能障害S5)で今大会初出場し、予選1組4位、全体9位で決勝進出を逃した。由井真緒里(上武大)は全体10位で落選した。

 成田は「ワクワク、ドキドキした」としつつも「もう少し、タイムを上げないと」と振り返った。今大会、個人競技では29日の100メートル平泳ぎ、30日の50メートル背泳ぎに出場予定。


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言語障害者のOTOが書くことも話すことも出来ない時、日記を
復活後の奮戦記です。1990年

8/26(日)晴
午前中は興野北公園を通って、百号線から興野児童遊園に行きました。そして、あみだ橋公園で休んでいたら、おばさんに「こんにちは」を言われました。家に帰りました。ヘルストロンに行きました。
午後はヘルストロンからあみだ橋公園を通って、家に帰りました。